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ONE LOVE ③

12時を過ぎていた。
いつもなら「書くこと」が好きなユリは映画批評の仕事はむしろ、すぐに終わらせることができるはずだったが、今日は随分時間がかかってしまった。
すでにまとめていたA4―5枚の批評があったことでなんとか終わらせることができた。
何回か推敲し、独自の視点と、今日思いがけず聞くことができた、初期の作品のこだわりの部分も書き添えた。
そしてファイルに保存し、「映画人」のアドレスを呼び出して送信した。

ユリはほっとして新しい依頼のDVDを入れた。
大きなテレビ画面に映し出された映画を見ながらユリは知らず知らずにHのことを考えていた。
「また、会ってもらえますか?」
何度も何度も繰り返し聞こえてきた。
振り払おうとしてもますます、彼の声、香り、自分を抱きしめたときの感触が思い出されてどうしていいのかわからなかった。
初めて告白された少女の様に、恋愛に免疫のない小娘のようにずっと動揺している自分が怖かった。
「自分はすぐに人を好きになったりしない・・・」
そう思っているのだが、なぜこれほど平静でいられないのだろう・・・

ユリはため息をついてコーヒーを飲み、DVDを切った。
リビングのライトを消して寝室に行った。
大きなベッドに身を投じて清潔なシーツにくるまれれば少し落ち着いてくるだろう・・・
スタンドの明かりだけをつけて気を落ち着かせると今日一日の出来事を思い返した。
大好きなM監督と初めて会えたこと
Hとの出会い
Hの自分への気遣い
ゴルフ練習場でのやりとり
そして・・・最後のHとのキス・・・
ユリは眠ろうとしたがなかなか寝付かれず何度も何度も寝返りをした。

M監督は 帰宅してすぐPCを開き「ユリ」について調べ始めた。
どこにも 彼女を特定するようなものは見つからなかった。
ただ、ヒュンダイのCMについてコメントしてるサイトがあり、あの枯れたボサノバ
調の曲が一時話題になり、その作曲をした「K・Y」について少し記事があった。
その記事には
「最近 とみにセンス抜群の曲を提供してくれるK・Yに注目している」
「日本人らしいとしか詳細は不明だが、クライアントにも評判のため、ヒュンダイの来期のニューモデルのCMも依頼予定だが、つかまるのか?」
と あった。
「K・Y」・・・YURIのことに違いない。日本人・・・
YURIと発音する韓国名もあるし、韓国語に関して彼女はネイティブそのものだったので韓国人だと思っていた。
M監督は頬杖をついてPCの前でため息をついた。
翌日 Hと映画のプロモーションの仕事で事務所で待ち合わせをし、車に乗り込んだ。
M監督はHに、「昨日のインタビューの彼女、日本人のようだな。」
「ただ、興味深いのはまちがいないけど、どこに存在を隠す必要があるんだ?」
「訳ありなんだな・・・きっと」
Hはそれを黙って聞いていた。

翌日、ユリは寝不足のまま昼近くまでベッドの中にいた。
ユリはリビングでPCのスイッチを入れ、メールを確認し始めた。
作曲の依頼が最近増えてきて、それは嬉しい限りなのだが、ユリのほうで選んで仕事をしていた。
依頼を受ける条件として、自分がデータを送信し、曲のイメージについて説明したものをメールで送り、そのあと、打ち合わせに何度も何度も行く必要のないものを選んでいた。
ヒュンダイはたまたま、CMのイメージの公募コンペであの曲を送り、それが
気に入られて採用されたのだった。ラッキーだった。
ギャラが高いかどうかはユリにとっては二の次だった。
メールのひとつにM監督からのものもあった。
「昨日はありがとう!君とは今度 時間をとって映画の話をしたいと思ってます。
そして ゴルフ!こんどは一緒にグリーンで!」
そのメールを読みながら ユリは返信せず、次のメールをクリックした。
昨日 Hとキスをし、動揺してほとんど眠れなかった。
今日も朝から、オファーのあったドラマの挿入歌にとりかかろうと思っているのだが、
気がつくとHのことを考えている自分がいた。
ユリはその気持ちに素直になることができなかった。
何年か かけてやっと一人で静かに生活できるようになった。
自分の気持ちも最近は落ち着いている。
今の自分にとって 一番大切なのは自分のこの生活・・・
ユリはそう思いながらピアノに向かうのだが Hの唇が自分の唇にふれ、
彼のコロンの香りがした昨日のあの光景が頭から離れなかった。
ユリは自分の気持ちが自分でコントロールできなくなっていくと思うと恐ろしかった。
そして、仕事をするのをあきらめ、ゴルフクラブを持って練習場にでかけることにした。

夕方 帰宅してPCを開けると、Hからのメールがあった。
ユリの心臓がまたどきどきしてきた。
「昨日はありがとう!長く連れまわしてしまって疲れませんでしたか? 三日後の5時以降 時間が取れるのですが、一緒に食事をしませんか? 実は昨日からずっと 君のことを考えています。メールでこんなことを言うと軽い男と思われそうですが 君に会えたら改めてこの気持ちを伝えたい。返事 待ってます。H」
ユリは目をつぶった。
「3日後の5時・・・」
ユリはしばらくそのメールを何度も読み返し、決心したようにHに返事を書いた。
「メール読みました。場所はお任せします。ただ、あまりめだたない場所がいいと思います。私もあなたに伝えたいことがあります。YURI」
数時間後 Hから返事が来た。
「15日。午後5時 リッツカールトンの10階のラウンジでどうですか?僕は早めにいくようにします。H」
ユリはその返事を見ると、自分のメモ帳に書き込んだ。
すでに平穏な日常ではなくなっている今 ユリはHに会う必要があった。

結局ユリは15日まで ほとんど仕事に手がつかなかった。無理やり 浮かんでくるHとのキスを振り払っては映画批評の仕事をひとつ片付けただけだった。
締め切りのせまっている作曲の仕事は、彼女のそれまで、自由にためたデータの中から
探すしかなかった。
「こんな仕事の仕方、無責任だわ・・・」そう思いながら ユリは支度をしてRホテルに
むかった。
ユリは風邪をひいていた。
睡眠不足、食欲不振、そのせいで簡単に風邪を引いてしまったのだった。

10階のラウンジに行くとHがすでに待っていた。
Hは、疲れた顔をして咳こんでいるユリを見た。
相変わらず美しかったが、別人のように疲れた顔をしていた。
「大丈夫ですか? 風邪をひいたの?」Hはそう声をかけて自分の前にユリを座らせた。
ユリは下を向いていた。
「今日は来てくれてありがとう。明日から香港へプロモーションに行くんだけど
今日 時間があいたので、君に会えればと思ってメールしたんだ。」
ユリは咳をしながら聞いていた。
Hはワインを飲んでいたが、ユリには暖かいお茶をオーダーした。
Hは話を続けた。
「あのインタビューの時から ずっと君のことを考えていて・・」
「もし よければ、これからも・・・」そう言いかけた時 ユリが彼を見て言った。
「私・・・あの日から今日まで落ち着かなくて、仕事が手につかなかったんです。」
Hはユリのこのことばを聞き、ユリが自分と同じ気持だったのか?と一瞬喜んだ。
「今のこの静かな生活が 私にとって一番大事。自分の気持ちをコントロールできなくなることが私には一番こわいんです。」
「俳優のあなたとおつきあいするなんて考えられない。」
そう言うと 下を向いて言った。
「私はそんなに簡単に人を好きになったりできない。すみません」
咳をしながらそう言うと ユリは席を立った。
呆然としてHは出て行くユリを見ていた。
彼女が来てから まだ10分と経っていない。
Hは席を動くことができずに、ユリの席に置かれた 一口も飲まずに残された柚子茶のカップを見つめた。

Hは日々 映画のプロモーションで忙しい日々を送っていた。
映画は韓国国内でも大ヒットし、日本、香港でも大歓迎を受けた。
約1ヶ月間でアジア各国を飛び回り、各地で取材を受け、映画の公開に合わせて
舞台挨拶をし、寝る暇もないほどの忙しさだった。
映画を完成させ、それを見てくれる多くの観客たちを見ることがHにとっての至福
の喜びだった。
プロモーションがひと段落つき、映画も順調に観客動員数を伸ばしている。
TV出演、雑誌取材、グラビア撮影など、映画の公開に伴って様々な仕事をこなして
行った。
映画関連の仕事が少しずつ落ち着いてくると、今度はドラマの撮影に入った。
これから5ヶ月は撮影で拘束されることになる。
制作発表をし、クランクインし、忙しい日々は続いた。
韓国ドラマは週に2回放送されるため、多忙を極める。
本当に体力勝負だった。

5月のある日だった。
Hは撮影所に向かう車の中で信号待ちをしていた。
ふと目をやると、颯爽と歩くユリが横断歩道を渡るのが見えた。
手には「M&V」の袋をかかえ、多分、DVDを買い込んだんだろうか、
ジーンズをはき、Tシャツを着て黒の麻のジャケットをはおったユリを見た。
ホテルのラウンジで会った時の 疲れた表情はなく、いつもの美しいユリを見た。
Hは元気そうな彼女を見て無性に会いたいと思った。
会って彼女と話がしたかった。
信号が変わり、気持ちを振り払いHは車を発進させた。

二人がはじめて会った日から季節が2つすぎようとしていた。
ある日の夜だった。
ユリの仕事用の携帯電話がなった。
見知らぬ番号をいぶかしく思いながらその電話にユリは出た。
「急に電話してすみません。・・元気にしてましたか?」
Hからの電話だった。
ユリは何も言わず、黙っていた。
Hもしばらくユリの声を待っていたが、話を続けた。
「今 君のマンションの駐車場のそばまで来てるんだけど・・・もし 時間があれば
少し 会えないかな?」
「え?」
ユリは考えた。
タクシーでここまで来たというH.。
外は雨が降っていた。
このマンションの近くに二人で会える場所・・・
近くのカフェは改装中で、閉店中。もうひとつはかなり遠くまで彼を歩かせることになる・・・
ユリは決心したようにHに言った。
「正面玄関の方にまわって、私の部屋を、1102を呼び出してください」
Hは言われたとおり正面玄関のオートロックのところで番号を押した。

ドアのチャイムが鳴った。
ユリは緊張してドアを開けた。
半年振りだった。
ジーンズにラフなジャケット姿のHがそこに立っていた。
ユリは彼をリビングに通した。
20畳くらいの広いリビングの半分はピアノやPCに繋がれたミキシング機材、いわゆる
仕事場の雰囲気だった。
Hはソファにすわり、ユリがコーヒーを入れるためにキッチンに行っている間、周りを見渡した。
整然とセンスよくまとめられた調度品、インテリア。
部屋にはノラ ジョーンズの「Don’t Know Why」が静かに流れていた。
おびただしい数のDVDと映画関連の書物がリビングの反対側を占めており、映画が好きだというインタビューの時のユリの言葉を思い出していた。
どこをとっても一人での生活ぶりが見て取れた。
コーヒーを差し出すユリ。
Hはありがとうと答えて、しばらく黙っていたが、話し始めた。
「元気そうでよかった」
「ホテルであったとき、風邪をひいてたよね? 少し心配してたんだけど、あれから
先月かな・・・君を街でみかけたんだ。」
ユリはHの話を黙って聞いていた。
Hは話を続けた。
「あのラウンジで君に、もう会えない、人を簡単に好きになったりできないって言われて、僕は あのあとよく考えてみたんだ。あの時 自分が君に対して抱いていた気持ちが一時的なものだったかを」
「会ってすぐ恋に落ちるってあると思ってたし、自分のそのときの気持ちに嘘はないと
思っていたんだけど、君にそう言われて もう一度考えてみることにしたんだ。
プロモーションであの後も忙しくて全くオフがなかったし、それが終わればドラマの
撮影が入っていて、その仕事が終わるまで、逆にこの気持ちがどうなるのか試してみようと思って。こんなふうにしたことは初めてなんだけど・・・」
hは照れたように笑った。
「半年経ってみて・・・」ユリをまっすぐみつめてhは言った。
ユリはコーヒーカップを両手で挟んで黙って聞いていた。
「君に対しての気持ちに変化はなかった。つまり、もう一度 君に会ってこの気持ちを改めて君に伝えたい。それで また断られたらほんとにあきらめようと思ったんだ。」
「しつこくてごめん・・・」
ユリは思っていた。
隠れるように暮らすユリと違い、率直に自分の気持ちを告げるH。
人と仕事に対しての誠実さと自信。
相手に自分の気持ちを正直に伝えること。断られても後悔しないようにそれを告げるH。
ユリが一度「もう会えない」と伝えてからも 自分の中で気持ちを反芻し時間を置いてくれた事。
今のユリには何一つできないことだった。
自分も昔はこうだった。
恐れずにまっすぐ率直に生きていたはずだった。
ユリは「あの日」以来 何年も他人と一対一で話す機会を持たなかった。
つまりこんな風にに率直に気持ちを伝え合う場面はなかった。
むしろそうならないように、ならないようにと避けていた。
でも、今のHの告白はユリのかたくなな心を溶かし始めていた。
今の自分が好きか?
NO。大嫌い!
昔の明るかった自分に戻りたい!戻りたい!
ユリの心が叫んでいた。

ユリのきれいな目から大粒の涙が流れてきた。
Hはそれを見て驚いて 「大丈夫?」とユリに尋ねた。
「ごめんなさい・・・びっくりしたでしょ?」そう言いながら鼻をすすった。
「ありがとうございます・・・Hさん、ホテルのラウンジであなたに会って
もう会えないって伝えたあと・・・すごく後悔したんです。」
「キスで動揺してしまって2-3日仕事が手につかなくなってしまって・・・
私 こんなに動揺してしまう自分が怖かった。この一人の生活の中で静かに生きていくしかないと思っていて・・・それであなたに もう会えないって伝えたんです」
「でもそのあと、仕事をしながら少しずつ自分を取り戻したとき、やっぱりあなたのことをいつも思い出してました。これって恋愛感情?そんなことさえわからないなんておかしいでしょ?もう 28にもなって・・・」
ユリは鼻水をすすりながら話し続けた。
「それから 音楽の仕事も立て続けに入ったり、批評の仕事もいくつかもらったりして
前と同じように一人で生活してきました」
「でも以前と違うこと。いつもあなたのことが頭にあったんです。いつもどおり
ほとんど一日中家にいる生活だったけど、あなたへの気持ちがどこかに住み着いていて
・・・すごく不思議なんですけど あれから私 ラブバラードばかり書いてるんですよ!
笑っちゃうでしょう?いくつも書きました」
実際にユリはオファー以外にも何曲か 思いつくままに美しいバラードを書いていた。
「自分がこんなふうに変わってきてることが少し怖かった。でも この気持ちを素直に受け入れようって最近は思えるようになったんです」
Hはユリの話を静かに聞いていた。
ゆっくり気持ちを確かめるように話すユリのことばがHの心に沁みていった。彼女も自分と同じ気持ちでいてくれたことが心から嬉しかった。
by juno0501 | 2007-02-08 01:02 | ONE LOVE ③
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